NPO法人ラジオ少年立ち上げの準備
会長 原 恒夫



 大きな手術の結果は術後の5年がひと山のようです。私は肝臓移植手術を受け、1年間の休職後に職場復帰しました。復帰した学校は、北海道の特別支援学校の中でも最初に開校した札幌盲学校でした。校長という立場から、体調が悪いときも一般職員のように保健室のベットで休んでいることも出来ません。
 年度末の退職意志表示は2月末日に決まっています。最後まで悩みましたが、締め切り前夜に妻に「学校を辞めたいのだけど---」と相談すると、「好きにしたら」とあっさり退職を認めてくれました。

 妻としては、私が生きているだけで満足してくれているようで、生活の事はあまり考えていないようでした。2月28日、北海道教育委員会に退職届けを提出しました。3月15日の卒業式を最後に58才での教員生活に終止符を打ったのです。残り3年はなんとか生きられるだろうという想定の下に、長年楽しんで来た趣味の世界を若い人達に伝える活動をすることを決断したのです。

 と言っても、退職の翌月から無収入になり、退職金を生活費に当てることになりました。年金は、60才から半額をもらえるということで、2年間は生活を切り詰めていかなければなりません。ここから構想を練っていた「NPO法人ラジオ少年」のスタートです。

 インターネットで、ラジオ製作に必要な真空管やパーツの情報を集めましたが、これが思うように集まらず、私が3年間バンコク日本人学校で過ごしたバンコクの電気街を当てにすることにしました。バンコクでの勤務からすでに20年以上が過ぎていましたが、バンコクのバンモーロードの電気街は昔とほとんど変わっていませんでした。変わっているのは、親しくしていた電気街のオーナーの皆さんがほとんど代替わりをしていたことです。店頭にならんでいる部品もずいぶん変わっていました。若い店員さんにアナログな部品名を言ってもなかなか通じないことが分かりました。そこで、現物を持って行き「これはないか?」と訪ねることにしました。

 この現物を見せる作戦は成功し、多くのアナログパーツを集めることが出来ました。中でも2連バリコンの発見はその後の真空管ラジオキットの頒布に大いに役立ちました。あるとき電気街のウインドをのぞき込んでいると、アルプスの2連の親子バリコンが1個あるではありませんか。早速の店員さんにたずねると「店には無いが、倉庫にあるかもしれないよ」とのこと、次回の訪問に期待しました。

 何度目かのバンコク電気街訪問の際に例の親子バリコンの店に寄ってみました。なんと1万個が倉庫にあったとのことです。私は、思い切って「全部買うよ!」と在庫の1万個を全部引き取ることにしたのです。貴重なエアーバリコンも若い店主には「不良在庫」だったのでしょう。
 この2連バリコンは、後にスーパーラジオ、ストレートラジオ、ゲルマラジオにと大いに役立ったのです。

 
    バンコク電気街で見つけた ALPSの2連バリコン


 20年前にバンコクに勤務していた時期に交流していたタイのアマチュア無線仲間が心配して、電気街での仕入れに付き合ってくれました。彼は外国人が電気街で仕入れているので高値の買い物をしているだろうと心配しての同行だったと思います。しかし、私が一つの部品を5百個、千個と購入して、その価格が、地元の人達が単品で買っている価格の半値以下、物によっては数分の1の購入価格に驚いていました。

 部品の中で困ったものもありました。電源トランスです。東南アジアのほとんどの国の家庭に来ているAC電圧は
200V~220Vです。このまま日本に輸入しても使えないのです。これもタイの電気街の店の紹介で、トランスの専門メーカー「TORON社」を見つけることが出来ました。5球スーパー用、並四ラジオ用などの電源トランスをオーダーすることが出来ました。

 アンテナコイルは、巻線器を買って自作することにしました。シャーシーは、タイの大手電子部品ショップに図面を渡し、アルミシャーシーの特注を受けてくれました。ところが5球スーパー用の中間周波トランス(IFT)は全くどこの国を探しても見つかりません。IFTは、ネットを検索していて、アメリカのネットショップに22mm角のIFTが2ドルで販売されていました。ところが周波数が書いてないのです。とりあえず10個ほどオーダーして届いたのは10MHz位のもので5球スパー用の455kHzのものではありませんでした。ただ物は良く、日本のQQQ製でどうも真空管式のCB無線機のもののようです。ひらめきました。「コイルを巻き替えてもらったら455kHzの物が出来る!!!」 さっそくアメリカの通販会社にこのCB無線用らしいIFTの在庫を確認しますすと2千個の在庫があるとの解答です。

 2千個のCB用IFTが届きました。これにハニカム巻で455kHzのコイルを巻いてくれるところを探さなければなりません。当てはありました。ソウルの電気街に1軒だけハニカム巻をやっている小さな会社がありました。
ただ、この仕事を受けてくれるか、巻賃はいくらかが心配でした。早速ソウルに出かけ、IFTのサンプルを持っていきリッツ線を巻いてもらう交渉をしました。幸い受けてくれることになりIFT-A用、B用の2種類コイル各1千個、計2千個のコイルをまき直してもらうことになりました。巻線料金は、1個8000ウオン(約800円)で、2千個ですから合計巻線代160万円です。

   
2千個のIFTコイルを巻いてくれた 
黄勝福さん(ソウル) 
455KHz用に巻き替え 


 2ヶ月後に2千個のコイル巻き替えたIFTを受け取りにソウルに出かけました。コイルを巻き替えてくれた黄(ファン)さんは、「このコイルを巻くため他の仕事が全くできなかったよ!」と笑っていました。おかげで1千組のIFTのコイルが出来ましたが、持ち帰ってコンデンサーをかませIFTケースに組み込みシグナルジェネレーターで455kHzの信号を入れ完成させなければなりませんでした。

 1千組の455KhzのIFTの完成に喜んでいた私ですが、わずか2年ほどで在庫がなくなることになりました。
このIFT単体での購入、そして、スーパーラジオキットがバカ売れしたのです。


NPO法人ラジオ少年立ち上げる



 退職から2年、パーツの確保で東南アジアを回り、確保した部品代も1千万円を超えました。資金到達のためにも早急に頒布する組織を立ち上げなければなりません。


 アマチュア無線仲間の参加を得て、当時NPO法人の監督官庁だった北海道知事に「設立認証申請書」を提出しました。時は平成17年(2005年)3月17日のことです。

 そして、同年5月30日に認証を受けることが出来ました。NPOラジオ少年の誕生です。

 ホームページを立ち上げ、早速ラジオ部品の頒布を開始しましたとこと、ホームページ以外でのPRはしていなかったのですが、予想を超える受注を受けました。こんなに多数のラジオ製作マニアがいることに感激したものです。正真正銘のガ-レッジショップで、車は外に出し、ボール盤などの多少の工具をそろえ、パーツやキットを準備しました。注文に追いつかず夕食後も発送やキット作りの作業を進めました。また、土日にはメンバーの皆さんが集まってくれてキットの袋づめ作業が進みました。

 6月末のある日、突然NHKラジオのディレクターさんから電話が入りました。NHKの朝の番組に出てほしいとのことです。もちろんありがたい話なので二つ返事で出演を承諾しました。すると、すぐ取材に行くと言うのです。
 二日後には、ディレクターの辰巳さんとチーフアナウンサー山田敦子さんがガレージを訪問してくれました。NPOとはいえ本当に「車庫」でやっているとは想像されていなかったようで、驚かれたようでした。幸いディレクターの辰巳さんがアマチュア無線をやっているということで、私たちの活動をすぐ理解してくれました。

 平成17年7月6日、東京渋谷NHKに打ち合わせにいきました。打ち合わせと言ってもディレクターの辰巳さんとアナウンサーの徳田さんが対応、地下の喫茶店でコーヒーをご馳走になって、雑談をしただけでした。NHKのことだから放送禁止用語は使わないでとか、なにか面倒なことを言われるのではと予想していたのですが、それが全くないのです。徳田アナが私も長野でアマチュア無線をやっていた話しなどアマチュア無線の話で終わってしまったのです。

 本番7月7日、9時15分スタートで放送が始まりました。ラジオ少年の話しの合間に音楽が入り、11時までの約2時間の番組です。ラジオ放送のスタジオは、少し大きめのテーブルにマイクが何台かおいてあり、以外に雑然とした部屋です。視聴者には見えないのでこれで良いのでしょう。音楽がかかっている間に、ディレクターの辰巳さんが次々視聴者から入って送られてくるFAXやメールをスタジオを持ち込んで来ます。
 事前に私の方に放送のためにリクエスト曲はないかと打診がありましたので、NHKの国際放送で使っている「桜変奏曲にフェージングをかけてあのひずんだ感じを付けてもらえませんか」とお願いしたところ、それは無理だったようです。
 私の想像では、ラジオ製作をされている方の奥様や家族は、「なにが面白いのだろう!」と良くは思われていないだろうという予測の下に、「ラジオ作りの趣味は、戦後の日本の電子産業発展のために貢献してるんです!!!」と確証のないことを強調して話していました。

 やっと時間のノルマをこなし放送終了しました。すると辰巳ディレクターは、厚い紙の束を持って来て、
「見て下さい。放送中に200枚以上のFAXやメールが来たんです。一流タレントが出演してもこんなに多くの反応が無いんですよ」と驚いている様子でした。つまり私の出演は大して期待していなかったのに予想外に反応があったということなのでしょう。

 番組の中で、「ラジオ少年の電話番号を教えて下さい」ということがあったので電話番号も話していました。「ラジオ少年の電話番号」と言ってもつまり我が家の電話です。妻も家でこの放送を聞いていたのですが、放送が終わる前から電話が鳴り出し、「私も聞きました」とか感想を話す電話が次々と続き、昼食も夕食もゆっくり食べることが出来ず、夜の9時迄電話が続いたとのことで、あきれていました。

 
山田敦子アナとNHKラジオスタジオでの筆者 


 NHKも毎日放送していると人材不足になるのか、その年の12月の中頃にまた同じ番組への出演を求められました。今度は、「途中退職をして変なことをしている人を集めたとのことで、私の他に自動車会社に勤めていた方が会社をやめ、林業に携わっているという組み合わせで同じ番組に出演させてもらいました。札幌でもNHK-TV、HBC-TV、新聞各社など取材があり特段の宣伝なしで一般市民へのPRが出来たのは大変ありがたいことでした。


キット頒布開始



 キット1号は、4球スーパーラジオキット 4S-STDです。タイからの電源トランスとアルミシャーシーの入荷して、キット1号の頒布を開始しました。そして、キット2号は、3R-STD並4相当ラジオです。発売からすぐに売れましたが、予想の範囲の月に各10セット程度です。心配していた製作者の皆さんのクレームもなく順調な売れ行きに安堵したものです。

 早速教材として3R-STD(並四ラジオ相当キット)が国立大学からまとめて注文がありました。若い方に作ってもらうのは本当にうれしい事でした。後日、指導した大学の教授からメールが入って、「学生にラジオを作らせたけれど、持って帰らないんです。」とのこと。楽しんで組み立てはするが、自分で使うために持ってかえらないで、研究室に置いていってしまうのだそうです。つまり若い人はラジオ放送は聞かないということなんですね。放送局さんには、若い人向けの番組を工夫していただきたいですね。

 やっとタイから5球スーパー用シャーシーが届き、5球スーパーラジオキット 5R-STD の発売にこぎ着けました。ちょうどその時期に北海道新聞社の取材を受け、記事となりました。

 
素朴な5球スーパーキット 5S-STD 

 すると翌日から5S-STDの注文が殺到、1週間後にはなんと200セットもの注文が入ってきたのです。シャーシーの追加注文をタイの会社に入れても受け取るには3ヶ月以上かかります。やむなく知人の紹介で、地元札幌の金属加工の会社に注文することにしました。日本の会社だけに製作費はタイ製の5割ほど高いのですが、そのできばえは素晴らしく、また、アルミシャシーにキズがつかないようビニールシートをかけてくれています。
 注文いただいた方には、納期に2ヶ月ほどかかるという手紙を出し、待っていただくことにしました。その後も5S-STDの注文が続き、新聞の影響力の大きさに驚きました。
 4球・5球スーパーラジオキットの頒布好調で1千組製作した455KHzのIFTも在庫がどんどん減っていったのです。

 最初の青少年向けラジオキット ゲルマラジオキットは、100円ショップのプラスチックケースに入れた簡単なものでしたが、400円と市価の半値以下の価格設定のため青少年団体からの購入申し込みが多数あり、千個単位で仕入れていたポリバリコンやドラムコアなども底をつき、なんどもバンコク電気街に仕入れに行く事になりました。簡単なキットとはいえ数をこなすのは大変で、ラジオ少年のメンバーはじめローカルの皆様にケース加工やパーツの袋詰めなどに協力いただきました。


NPO法人ラジオ少年の活動拡大する



 2005年5月から活動をはじめ、ラジオキットの頒布をはじめた「NPO法人ラジオ少年」は、まさに正真正銘のガレッジショップで、キットや部品の販売量が増えていくにつれ在庫部品も増えてきました。車庫の奥が無線室になっており便利ではあるのですが、なにせ部品種類やストックが増え不便になって来ました。近くに安くて広い場所はないものかと探していました。何カ所も空いている物件を探し回りましたが、やはり広くてきれいなところは家賃が高額でとてもラジオ少年の財政では借りることが出来ません。

 2007年の秋になって見つけたのが我が家から500mほど離れたところのマンション1階が空いているのを発見しました。早速このマンションの管理人さんをたずね部屋を見せてもらいました。築18年ということで、3年ほど空いているとのことです。中は4室に分かれて一番大きい部屋は、30人位が講習をうけられそうです。ここは作業室、ここは物品庫など、かってに部屋割りをしてみましたがなかなか良いではありませんか。特に30人ほどが講習を受けられそうな部屋はラジオ製作会やアマチュア無線の講習会が出来そうです。玄関前には6台の駐車場がついていて理想の建物です。賃料もメイン道路や地下鉄駅から離れていることで、今まで見て回った場所より割安な感じです。思い切って即日入居を決めました。

 大家さんからもOKが出て、10月1日から「NPO法人ラジオ少年」の事務所をここにを置くことにしました。ただ、壁の汚れがひどく大家さんに壁のペンキ塗りをお願いしましたが、これは家賃を安くしているという理由で却下となりました。そこで、早速ラジオ少年のメンバーにお願いして、4部屋のペンキ塗りを実行しました。40リットルほどのペンキを使いましたが、見事に明るくきれいになりました。看板も近くの看板屋さんにお願いして作ってもらい玄関上に掲げました。

 幸いと言ったら次女夫婦にしかられますが、次女の婿さんが経営する土建会社が会社を整理し、その会社の什器が残っており、わずかの費用で分けてもらうことが出来ました。これで、NPO法人ラジオ少年も形が整ってきました。これを機会に中古で故障になやまされていたコピー機と輪転機をリースで購入しましたが、なんとか6年間のリース費用を払うことが出来ました。

 講習会などで使える部屋も出来たので、早速JARD(日本アマチュア無線振興協会)の主催する第3級、4級のアマチュア無線養成課程講習会を引き受けることにしました。NPO法人ラジオ少年の役員さんは、ほとんどが1アマと2アマなので講師は何人もいます。妻にこの講習会の世話をする「管理者」をやってくれないかと頼むと、これもOKとのことで、早速JARDに講習会開催を申しでました。私も30年以上講習会をやっていたので問題なくJARDから許可が出ました。

 早速4アマの養成課程講習会を開催することになりましたが、受講生がJARDの規定の最低15名が集まりません。JARDの担当者も「NPOラジオ少年」での講習会が人数不足で流れるのではないかと心配して、1日に2回も3回も受講者の人数確認の電話が入り、管理者の妻もノイローゼ気味のようでした。幸いなんとか受講者が15名に達し講習会を開催出来ました。講習会開催の度に受講者不足には困ってしまいました。

 ところが、2009年(平成21年)3月に「アマチュア無線の養成課程講習会がJARD以外に認可されるらしい」という情報が入ってきました。NPO法人ラジオ少年が総務省から直接講習会をやって良いということになれば、独自に講習料を決めることが出来るかもしれないと思い、早速北海道総合通信局に相談に行って来ました。結果は予想のとおり「、受講料は実施団体で自由に決められる」とのことで、大人と子どもの受講料の差を付けても問題ないことが分かりました。

 早速早期の講習会実施団体(正しくは無線従事者認定施設者)への登録手続きを申請することにしました。ただ、まだこの制度を開始したばかりで、書式も添付資料も決まっていない段階なので、何度も北海道総合通信局から呼び出しを受け、指導を受けました。そして待ちに待った認定を受けたのは、2009年(平成21年)7月15日付けで、4アマ講習会の開催日は9月12日、13日でした。

 NPO法人ラジオ少年が全国で初めて民間団体として、認定を受けたことは全国に知れ渡ったようで、早速当時JARLとJARDの会長でもあった原昌三氏からクレームが付きました。8月の東京ハムフェア会場では、原会長とJARDの専務理事がこの認定を返上するよう長時間にわたり説得を受けました。私は、青少年の受講料を大幅に下げるならNPO法人ラジオ少年の独自講習会を返上しても良いという腹案は持っていましたが、JARDの専務は、国家資格の講習会で大人と子どもの料金差を付けることは例がないとして青少年料金を認めない姿勢を続け、話は平行線を続けました。

 この話し合いには、JARL理事の有坂理事も同席していましたが、私たちの話し合いには発言せず、静かに聞いておられました。私は、最後に有坂理事に「原さん、いい加減にしなさい!!」とNPO法人ラジオ少年での講習会の中止を強く指示するのだと予想していました。
 3時間ほど話し合いが続いたあと、原会長が「有坂さん、ラジオ少年の講習会をどう思う?」と有坂理事に発言を促しました。すると予想もしない発言が有坂理事からあったのです。
 「原さんは、青少年活動を一生懸命やっているし、講習会をやらせたら!」
これには、原会長もJARD専務も驚いて、いえ、私も全く予想外の有坂氏の発言だったのです。
この有坂氏の〆の発言で、私は講習会を返上しないで、実行に移すことが出来たのです。
 次のJARL理事会で、有坂理事は突然理事辞任を発表されました。本人は否定されていますが、ラジオ少の養成課程講習会を容認する姿勢を取ったことで責任を取られたとのだと確信しています。

 
北海道新聞で講習会をPR 


 全国初の地方総合通信局のアマチュア無線技士資格の講習会は、北海道総合通信局の指導の下、一般と青少年の受講料に差をつけるというこれまでの前例のないものでした。しかし、受講者募集のためのPRはラジオ少年もホームページと新聞に記事として掲載してもらった程度で受講者数が伸びませんでした。受講者が1人ということもありましたが、しかし徐々に地域に情報が伝わり、1年後には定員を超える応募者が出るようになってきました。 4アマは、毎月の第二土日、3アマは偶数月の第一日曜日と講習会の開催日を定例として固定することにした事が受講生にとって良かったのではと思います。
 2020年10月末現在で、本会での講習会修了者は、4,382人となっております。そのうち約20パーセントが18才以下の青少年の受講者です。


国の事業に助成金?


 幸いなことに2007年頃より全国陸上無線協会が総務省から受託している小学生を対象としている「電波教室」で使うラジオ教材を受注することが出来ました。選ばれたラジオ少年のキットは、ICを1個とトランジスターを1個使った簡単なラジオキットで、単価は990円のものです。市販されている同等のキットは2千円ほどですが、ラジオ少年では約半値で供給していました。この小学生向け事業は全国で展開され、毎年3千セット~7千セットを供給していました。

 とことが政権が民主党に移り、厳しい国の予算の見直しがありました。この総務省の電波教室に千円近いラジオキットを作らせ、完成したラジオキットを持ち帰らせていることにクレームが付きました。結果半分の500円程度にするよう指示があったのです。

  ラジオ少年の納入しているラジオキットを500円にしてほしいいと要望がありましたが、なんとか550円までに上げていただきました。どんなに安い部品を使っても650円の部品代がかかり、やむなくNPO法人ラジオ少年として、ラジオキット1セットにつき100円助成をすることにしたのです。国の事業にNPOが助成している話は聞いたことがありませんが、とにかく小学生がラジオを作ることが出来なくなるのすからやむをえません。
年間3千~7千セット納品ですので、1セットの助成100円×7000セット=最大助成額は70万円にもなるのです。

 この頒布価格650円のキット(型番KIT-16Jr)は、全国の科学館などの教材として好評で、毎年1万セット以上も頒布するヒット商品となりました。市価の1/3の頒布価格と非常に高感度であること、小学生にも作りやすい設計などが人気となったようです。

 
 高感度でわずか650円のラジオキット KIT-16Jr