素人バイヤー奮闘記

ラジオ少年 代表  原  恒 夫 


世界の国から航空貨物で輸入しています


1 「バイヤー」になった日  

 バンコクのドムアン空港に初めて降りたのは、1972年4月の14日でした。東京の外務省のシャンデリアのある大広間で、私たち300人の政府派遣教員が集まっていました。第1回政府派遣の在外教育施設(海外日本人学校)の教員の壮行会です。外務省や文部省の担当部局の挨拶が終わり、シャンパンが抜かれました。いよいよ出発が近づいたのです。北海道檜山管内大成町立太田小学校(辺地5級)に勤務していた私に校長先生が見せてくれた一通の北海道教育委員会の文書が、「第1回在外教育施設派遣教員募集要項」でした。応募書類の作成、受験、合格通知とトントン拍子の3ヶ月が過ぎました。まったく予想もしなかった人生がはじまりました。
 そして、3年間の「バンコク日本人学校」の生活も終わり1975年、3月末に新しい家族バンコク生まれの次女を伴って帰国しました。幸い、その後、ユニセフ活動や海外ペディション(アマチュア無線のいないか少ない地域で電波を出すこと)のために人脈や土地勘のあるバンコクを中心に東南アジアを活動しました。そのため、年間3回以上もバンコクを訪問することになりました。バンコク日本人学校時代に担当教科の「技術科」の教材買い出しに歩き回ったのがバンコクの秋葉原「バンモーロード」でした。秋葉原に比較するとその何倍もある電気店街は、日本人には想像することが出来ないでしょう。秋葉原の30年は、衰退の一途で、業種もPCショップ、アニメショップなどへ移ってしまい見る影もありません。ところがバンモーロードの発展はめざましく、電気店街も行くたびに拡大充実しています。このバンモーロードに1972年4月から通いはじめ、もうこの30年間で100回に近いでしょう。
 そして、「NPO法人ラジオ少年」を立ち上げてからは、一層バンモーロードに頻繁に通うようになりました。私が、30年前に取引をしていた店の主人は、ほとんど代替わりしています。私が、
「ナイハン(旦那)は、元気か?」
と訪ねると、ほとんどが
「亡くなった」
との答えです。
 秋葉原の電気店街で、一つの部品を1000個注文して、すぐ出てくる店はあるでしょうか。バンモーロードの店は、1000個でも5000個でもあるのです。運悪くその店になくとも、15分もすれば近所の店から集めて来るのです。店には、それぞれ得意があって、得意な分野の部品は安く、品質も良いのです。「ラジオ少年」をスタートさせてからは、一つの部品のオーダーは、ほとんど千個単位になりました。そのため運搬は大変です。あちこちの店で買った部品を運び、なじみの店に預けます。夕方にタクシーに載せ輸出代行店まで運びます。タクシーには、トランクから助手席、後部座席も私がのれるスペースだけを残し、びっしりと詰め込みます。日本のタクシーなら完全に乗車拒否にあうでしょう。1回の買い出しは、4泊5日程度で、購入部品の重量は1000kg程度です。航空貨物で、1kg100バーツ(約300円)程度ですが、梱包材料の重量分の送料、ダンボール代、輸出手続きのための諸経費もかかりますので結局1kg500円程度かかります。すると、送料だけで1回50万円近くかかることになります。
 さて、何度目かの「ラジオ少年」のためにバンコクに出かけて時の事です。輸出代理店にキットメーカーのアポを取るようお願いしたときの事でした。スタッフはキットメーカーに電話をかけていました。その会話に「バイヤー」という単語が頻繁に出ていました。「バイヤー」と言っているのは、なんと私のことだったのです。そうです。私が「バイヤー」だったのです。そういえば、私の旅行鞄の中身は、テスター、LCRメーター、はんだごて、工具、それに洗面道具、下着、まさにバイヤーとしての七つ道具だけなのです。

2 素人輸入
 
 エアーカーゴが届くのは、千歳空港です。まず、空港のカーゴ担当者から電話が入ります。「荷物が入りましたから引き取りに来て下さい。」というので、知人のワゴン車を頼んで出かけますが、これが大変です。

1 千歳空港の入り口にあるエアーカーゴの保税庫に行き、「送り状」を受け取ります。
2 「送り状」を持って千歳空港内にある「函館税関千歳空港支所」に行きます。
3 輸入書類を作成します。
4 保税庫に通関士と戻り、荷物の検査を受けます。
5 検査で、問題がなければ、輸入申請書の通りの税金を空港内の銀行に払いに行きます。
6 納税証明書を持って税関に行きます。
7 保税倉庫に戻り、荷物を受け取ります。

 これで、終わりなのですが、の書類づくりが大変です。悲しいことに私には、輸入に関する知識が全くないのです。税関事務所には、申請書類を作るパソコンが置いてあり。これに入力するのですが、この時分厚い関税率一覧の本があり、これで、その部品がなんという分類に所属し関税率はいくらかを申告するのです。1種類の部品毎に分類番号を記載しなければりません。部品の種類が50種類もあるとお手上げです。税関士さんは、若い女性がほとんどですが、最近はとても親切で、細かく教えてくれます。しかし、税関士さんは、ラジオ部品に対する知識がありません。だから審査に時間がかかります。例えば、2インチのスピーカーですが、私は通信機用して分類して書類を作成すると、通関士さんは、
「これは、ステレオにも使えるから、家電の分類ではないか?」と言ってきます。
「ステレオにも使おうと思えば、使えますが音域が狭いので良い音がしません。やはり通信機用です。」などと部品毎にやりとりをして通関士さんを納得させなければなりません。
「どっちでもいいんじゃない。」などと面倒になって私が言うと、
「いえ、輸入実績のデターを作るとき困るので、どの分類かきちんと審査しなければなりません。」と審査が続きます。
17時を過ぎると審査はしてくれるのですが、残業代を1時間につき4000円も払わなければなりません。(泣)

3 難しい価格設定

 海外に出かけて行く企業のバイヤーの皆さんの苦労の一端を経験しています。在庫を確認しながら、仕入れをします。NPO法人ラジオ少年は、資本金ゼロからのスタートで、売り上げ金を残らず持って仕入れに行きます。売り上げ金を全部はたいて仕入れ、そしてを頒布し、また、その売上金でまた仕入れます。全くの自転車操業です。
 今年3月末、初めて決算期を迎えました。絶えず動いている会計は、決算をしてみなければ赤字なのか黒字なのかわからない状況でした。4月上旬収支決算書が出来ましたが、果たしてこれで道庁に提出する事業報告書になるのか、NPOをサポートしているNPOである「NPOサポートセンター」に出来た書類を見てもらいました。
「原さん、素晴らしい財政状況です。初年度から少しでも黒字が出るなんて、これまで北海道内の数多くのNPOでみたことも聞いたこともありません。」
「でもこんなに借入金もあるのですが、早く返してしまった方がよいでしょうか?」
「いえ、黒字のままにしておくことが最良です。借入金を返して赤字決算にしてしまうと、銀行からの融資が受けられなくなります。」
なるほど、プロのNPOの方は、事業を大きく展開させるため、絶えず融資を受けやすい財政状況を作っておくのがベストと判断したのです。


4 判断ミスで二度と手に入らない

この中にさがしているものが! 

 バンコクのバンモーロードにも秋葉原のジャンク屋さんのような店が何軒かあります。ある時、そのバッタやさんに日本では入手が難しいオイルコンデンサーがダンボール箱に山のように積んでありました。一箱に1万本入っているとして、何十万本ものNOS(新古品)です。日本の一流メーカー製のそのコンデンサーをとりあえず、5000本ほど仕入れました。 真空管用にしか使われない耐圧600Vのこのコンデンサーは、今の時代に売れるわけがありません。そう判断した私は、
「またこの次来たとき買おう」
と思ったのが、大ミステークだったのです。2ヶ月後に行ったときあの山のようにあったコンデンサーが、1箱もありません。一箱どころか、1本もないのです。店員さんに尋ねると、
「売れましたよ」
のこと。信じれれないことに10万本以上もあったコンデンサーが1箱どころか1本も残っていないのです。以後、1年以上も過ぎましたが、あの欲しかったオイルコンデンサーは、バンモーでは、全く見つかりません。

教訓 バッタやさんの商品は、見つけた時に全部買うこと


5 バンモーの電気街の店員さんはプロ

 狭い小路にパーツが並びます      道ばたで営業中の修理屋さん

 店先をのぞいてみてみつからない部品も店員さんに尋ねておいて良かった例が沢山あります。
「○○ありますか?」
と尋ねておいてよかったことが何度もあります。変な日本人が聞いていたことを店員さんはよく覚えていてくれて、思いがけない時に、
「○○があったよ」
と声をかけてくれるのです。それが、一月とか二月前でなく、1年も前の話をよく覚えてくれていました。さすが、プロの店員さんです。真空管用パーツなど今の時売れないので、強く印象に残っていたのかもしれません。ここが秋葉原のアルバイト店員さんと違うところです。バンモーの電気街のオーナーは、ほとんどが中国系のようで、店員さんも中国人らしく、仕事にとても熱心です。私が買った部品もよく覚えています。
「前に買った○○買わないの?」
と積極的に売り込みがあります。
「あんたのために取っておいたよ。」
などと言われると、ついつい100個で良いと思っていた部品も、在庫全部を買ってしまいます。
よく、タイに長くすんでいる日本人から、
「中国人の店は、最初は安く、行くたびに高くなるから注意しなさい。」
とアドバイスをいただいていました。確かにそう言う店もありましたが、ほとんどの店は、通う毎に値引きしてくれるようです。現地の方に売る価格と私のような外国人との価格差もないようです。

教訓 店頭にない部品も聞くだけ聞いてみること


6 約束は守りましょう

 「○○ないかな?」と店員さんに聞くと、
 「倉庫を探しておくから、明日来て下さい。」
などいうことが時々あります。これは、本当に明日来るように言っているのです。日本人がお付き合いで、いい加減な「お愛想」を言っているのでなく、本当に倉庫を探してくれているのです。最初は、半信半疑で、次の日そのお店に行ってみると、約束した店員さんがちゃんと待っていて、古めかしいダンボール箱を抱えて出てきした。こんなことが何度もあったのですが、約束の日に行けないことがあります。そう言うときは必ずその店に電話をかけて、
「申し訳ありません。別の仕事が入って行けなくなりました。」
と連絡するようにしました。
すると相手は、
「次は、何時来るの?」
と聞いてきますから、
「7月の中旬です。」
と答えておきます。そして、2ヶ月後に出かけると、これがちゃんと覚えていて、また、店員さんが古めかしいダンボール箱にリクエストした部品を取ってあるのです。こうした信頼関係を大切にするように努力しています。


7 1日500円の食費

     おいしいものをさがすのも楽しみです

 バンコックは、世界の美味しい料理のレストランがそろっています。バンコクでの食事は楽しみの一つです。しかし、タイ料理にしろ中華料理にしろ一皿の量がとても多くて、とても一人で食べきれる量ではありません。もう一つ財政の厳しい我が「ラジオ少年」では、旅費やホテル代、食費もセーブしなければなりません。一応、目標の食費を1日500円に設定していますが、物価の安いバンコクでも外国人にはなかなか厳しい金額です。私は、6年前に肝臓移植を受けているので、毎日免疫抑制剤を服用しています。ですからウイルスはじめ細菌感染の抵抗力がゼロの状態です。食堂は、必ず水道のある店を選んでいます。屋台も食堂も高級レストランも味はほとんど変わらないことは承知しています。屋台は、取り置きの水で食器を洗い、それを何度も使う屋台は、細菌を培養しているようなものです。同じ焼きめしが、一皿50円の屋台は止めて、100円の食堂にしなければなりません。生ものも危険、生ジュースも生水も飲まないようお医者さんから厳しく注意されています。そんな訳で1日3食500円の設定は厳しいのですが、結構お腹一杯食べられます。鳥インフルエンザ予防のため、市場はには近づかないようにしています。そう言いながらチキンの料理は結構食べています。
「加熱してあれば大丈夫!」とばかりにです。
 日本も同じかもしれませんが、料理の材料や味はほとんど変わらなくとも、屋台、食堂、レストラン、ホテルのレストランと値段が倍々になって行きます。まあ予算に合わせて、結構楽しい1日500円の食生活を味わっています。「1日5ドルの海外旅行」なんていう本が書けるかもしれません。
 食べ物の事で、悲しい思い出があります。バンコク日本人学校の2年目の確か新学期が始まったすぐの事ででした。職場のどんなグループであったかすっかり忘れてしまいました。数人の職場の仲間とアフターファイブにパトナム市場にあるほぼ屋台に近いサテ(タイの焼き鳥)屋さんに出かけました。タイに住んで1年、サテを焼く露天の店のなんともいいにおいにひかれていましたが、トライする機会はありませんでした。初めての「サテ」はなんとも香ばしく、香辛料の効いた味は、
「うまい」の一言でした。日も沈み暑かった日中を忘れるようなさわやかな風が流れていました。裸電球や赤や青の蛍光灯が光り、パトナム市場は酔客であふれていました。平日であったので、宴は午後8時頃に終わり、それぞれが帰路についたのです。タクシーは、私のアパートの前に止まり、私と同僚二人が車を降りました。二人の同僚は、私のアパートの小路の奥の独身者用ゲストハウスに向かいました。
「また、明日ね!」
「さよなら」
「サテ美味しかったよ!」
二人の陰は、少しゆれながら小路の闇に消えて行きました。
 次の日、二人のうちのAさんが出勤して来ないのです。すぐ原因はわかりました。シャワーのガス温水器が止まっていなかっため、小さな部屋は酸欠状態になり、Aさんは窒息死したのです。着任わずか1ヶ月で、Aさんは他国の地で亡くなったのでした。彼は小さな箱に収まって帰国して行きました。悲しい思い出です。 

8 日本と異なる消費文化

 バンモーの電気店街を紹介してきましたが、実は「電気店街」は何カ所もバンコク市内にあります。ただバンモーの電気街は、歴史も古くそのため私は必要としている真空管パーツがわずかですが残っているのです。他の電気街は家電であったりパソコンであったり、最近ICや自動制御関係のパーツ等です。中でも、パトナムの近くのパンンチェットプラザは、地上7階の大型ビルの中に、500店位のパソコンショップがテナントとして入っている大型PCショップです。1フロアも広く、ゆっくり各店舗をみていくと少なくとも3日はかかるでしょう。最近秋葉原にもノッポビルが次々と建設され、私はすっかり考え違いをしていて、この種の電気店街が出来ると思っていました。ところがこれらのビルがオープンするとまったく関係ない業種や、学校などが入っていたのでした。秋葉原に建つ理由のなにもない商業ビルでした。
 


つづく