北海道ハムフェアの思い出



1 北海道ハムフェア開催までの経過

 北海道ハムフェアは、私のHPに頻繁に登場するJA8IOT村井さんと何度かJARL主催の東京で開催されるハムフェアに参加しました。ある時は夜行列車、である時は飛行機ででかけたのですが、道中ビールなどを飲みながら、
「アマチュア無線で楽しいことはないだろうか?」
「次の時代のアマチュア無線の通信方式はどんなものが出てくるだろか?」私のたわいのないいつもの質問に村井さんは、いやがりもせず相手をしてくれていました。村井さんは、NTTに勤めており、情報通信の分野の第一線で活躍されているので、新しい情報や知識が入って来ています。と言うよりもどん欲に自分で最新の情報を集めてきます。まだ私が8ビットパソコンを使っている頃に、既に村井さんはSONYのNEWSEとかよく分からないUNIXを使って、パソコン通信をやっていました。だから情報通信に関わることは何でも、「村井さん」を連発すると解決してしまうのです。
 また、別の章で紹介しましたように、JARL渡島檜山支部大会に「ミニハムフェア」を取り入れた原動力になっていました。ある時私は東京ハムフェアの興奮も冷めやらない帰りの夜汽車の中で、
「北海道でもハムフェアができないかな?」とぼやきますと、村井さんはたいして反対もせず、
「出来ます。」と答えてくれたのです。
 そんなことがあった後、日本ユニセフハムクラブの札幌支部のJR8RRX市川さんにも、同じようなことをぼやいてみました。
「出来ますよ。」市川さんも簡単に出来ますという答えです。軽率な私は、早速市川さんと何カ所かのハムフェアの出来そうな会場を回ってみました。意外に札幌は会場候補が結構あることが分かりました。私は、おおざっぱに
「札幌のハムショップ、無線機メーカーさんが経費の半分くらいもってくれると出来かもしれませんね。」何カ所か回った会場のうち最も気にいった展示場「アクセス札幌」の会場費は、展示パネルなどの備品も借りて、約250万です。ポスターなどの広告費、準備のための会議費、記念誌などを大まかに試算するとこれがまた250万円、実行委員会の旅費は全部自己負担、クラブの出展料は無料、そうすると‥‥‥‥。
 市川さんは自営業だけあってやたら顔が広く、イベント屋さんも知っており、イベント屋さんにも相談してみました。
 こんな安易な計画は、どんどん進んで「第一回北海道ハムフェア実行委員会準備会」の開催まで行ってしまいました。
と言っても、「北海道ハムフェア」の企画は、赤字を出したとすると、私の小遣い程度の怪我ですまないことは予想できました。JARLのハムフェアで、出展クラブから高額の出展料を取っているところでさえ、主催者であるJARLが2,000万円以上の補填をしているではありませんか。それを、北海道ハムフェアでは、クラブの出展料を無料にしたうえ、どこからも補填がない、つまり絶対に赤字は出せないのです。さすがに軽率な私も心配になり、地方で開催されているハムフェアを視察する事にしました。
 幸い山形でハムフェアが開催されているという情報を得て、早速JA8IOT村井さんと出かけました。幸い同じ7エリアの福島県におられる日本ユニセフハムクラブのメンバーJA7BDB巻山OM,JA7WFJ伊藤OM,JH7DXZ高橋OMも同行いただけることになり、私達はJR福島駅で7の皆さんの車にピックアップいただきました。車の中でラグリながら山形到着早速「山形ハムフェア」の会場に飛び込みました。こちらの会場は、もとボーリング場跡とのことで、結構な広さが確保できていました。私達のイメージと多少のズレがあったのは、ハムショップの販売が中心で、クラブの出展が少なかったことです。しかし、販売ブースは結構人が入っており、ハムのねらいはリグの購入などが主なものであることが分かりました。ハムフェアには、ショッピングの楽しみも大きなウエイトがかかっていること分かりました。
 山形のハムフェアの中心となっておられたJA7CL設楽OMも日本ユニセフハムクラブのメンバーであったことから、私達5人の宿泊まで手配いただき、大変お世話になりました。
 二つ目の地方のハムフェアの情報が入ってきました。北海道からは遠いのですが、熊本の九州ハムフェアです。このハムフェアでは、私の所属する日本ユニセフハムクラブのブースも出させていただくこととしました。折角出かけるなら所属するクラブのPRもさせていただきいと欲張ったのです。幸い熊本にもJA6HBB田中OMがユニセフメンバーで、快くハムフェアのブースに参加いただけるということになりました。ここの会場は、リゾート地のホテルまで隣接する立派な体育館でした。やや手狭な感じの会場でしたが、参加者がそれほど多くなくとも熱気が感じらました。広すぎて閑散とした感じはかえってマイナスイメージで、多少狭い方が良いのかもしれません。こちらのハムフェアは、出展クラブが結構あり、ハムの祭典という感じを受けました。会場がやや都市部から離れていましたので、参加者数を心配していましたが、意外にたくさんのハムが参加して、車社会の昨今、あまり街の中でやる必要もないことが分かりました。夜には、「JARL原会長を囲む会」がセットされており、ブースの出展者やハムフェア実行委員さんなど20名程度が参加、私も楽しく歓談させていただきました。
 こんな視察活動をしながら北海道ハムフェアもいよいよ実行委員会を立ち上げることといたしました。

2 たまげた「ハムセンター札幌」の西田社長の太っ腹

 私の試算では、全体予算は500万、そのうち無線機メーカーさんやハムショップさんなどの支援が半分の250万円を出していただけないと北海道ハムへフェアは開催出来ません。
ある夜、札幌のハムショップの皆さんにお集まりをいただいて、北海道ハムフェアについて説明する会を開きました。なにせ、ハムショップやメーカーさんの支援を仰ごうという虫のいい話しですが、ハムショップの社長さん方も熱心に私達の計画を聞いて下しました。
「とにかく、私達素人が実行委員なので、販売ブース、メーカーとの対応を引き受けていただきたいのです。」私達は、ただただお願いしました。
 そして、ハムショップの応募最後の日、ハムセンター札幌の西田社長から電話がはいりました、
「アマチュア無線の皆さんが一所懸命やってることでしょ。お手伝いしますよ。250万円私の責任で集めますよ。私もハムの皆さんのおかげでやって来ているんだから、この機会にお礼をしますよ。」私は耳を疑いました。ハムショップに支援を呼びかけて締め切りの日までどこからも申し出がなく、だめかと思っていたところでした。
西田社長は、約束どおり次々とメーカーのブース出展をとりつけて下さいました。これで、資金の半分が揃ったのです。後は、良い企画を満載して、多くのアマチュア無線愛好家の皆さんが参加してもらえばよいのです。
 道内のアマチュア無線クラブに呼びかけていた、全道各地から実に100人を越える実行委員さんの応募がありました。ありがたいことです。これで北海道ハムフェアは間違いなく開催出来る見通しとなったのです。全くの素人集団に、約束手形を切って下さった西田社長の太っ腹に感激したのでした。






3 いよいよ「北海道ハムフェア」開催へ

 JARLが北海道ハムフェア広報用QSLカードの転送拒否問題とかJARL北海道地方本部の妨害とか紆余曲折はありましたが、100人の実行委員の活動、北海道電気通信監理局の後援決定、無線機メーカーのブース出展決定と順調に準備は進んで行きました。(一つひとつのことを正確に書けば、1万字にもなりますがhi)、北海道ハムフェアの開催までにこぎ着けるまでにJARLとJARL北海道地方本部がどのように障害になったかは細かくは書きません。アマチュアのためにある組織が、アマチュアの活動の障害になるとは思いもよりませんでした。私をはじめ、多くの実行委員に無念の思いがつのったのです。JARLにそれほど関心のなっかった私や何人かのハムフェア実行委員が、その後、多数JARLの役員に立候補しました。「JARLを私達アマチュアのための組織にしなければならないと。」と痛切に感じたのです。私は、この貴重な経験をもとに、JARLは常にアマチュアの方を向いていなければならないと思っております。私のJARL理事(北海道地方本部長)としての信念でもあります。

JARLから転送禁止処分を受けた広報用QSLカード

関係報道記事 1988/10/01  読売新聞
          1990/08/09 読売新聞
          1991/08/10 読売新聞
          1991/08/14 北海道新聞                


会場風景 第2回で最高の9600人が入場した


毎回40〜50クラブのクラブに出展いただきました

  

メーカー各社に出展いただきました


販売ブ−スも好評でした

各回に発行された記念誌  約100ページで内容は素晴らしい物でした


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