JA8ZOB あけぼの会AMCの思い出



1 あけぼの会の発足


 あけぼの会は、江差小学校6年2組のクラス会です。このクラスが5年生の時からの2年間、私が担任を仰せつかったクラスです。2年間江差小学校で国際交流委員会のメンバ−として大活躍のクラスでした。隣の江差中学校に進んで行きましたが、このまま国際交流をやろうということで、話し合いの結果「あけぼの会」の名称が決まりました。私が国際交流委員会を担当していたとき、私のアイデアを素直に聞いて、委員会活動の時間はもとより、放課後も残って、日本人学校の文通、江差の港に沈んでいるオランダ製の幕末の軍艦「開陽丸」の研究など、江差小学校の国際理解教育を実践してくれた生徒さん達です。このクラスの生徒さんとの実践を中心にまとめたものが、全国国際理解教育研究会や国際理解教育研究所に論文として発表し、全国から高く評価されました。学校で、いくら教師が机上の研究をしても、生徒さんがいかに取り組みどのように変わったか評価しなければ教育論文は出来ません。その点、このクラスは生徒さんはもちろん、保護者の皆さんもずいぶん協力して下さいました。もちろん学校教育として取り組むわけですから、校長や職員の理解も必要です。私は、生徒さんにも、保護者の皆さんにも、職場にも恵まれたのです。
 
 もちろん6年2組の生徒さんが卒業してからも江差小学校の国際理解教育は続きました。後輩への数々の引継が行われました。開校100年の江差小学校に、新しい伝統が定着したのです。

 中学生になった旧6年2組の皆さんが集まって、継続して国際交流活動を継続する事になり、北海道ユネスコ協会への加入、ユニセフのボランティア活動など、組織は小さいけれども活発な活動が続きました。女子生徒の皆さんが江差の伝統文化江差追分おどりに取り組み、見る間に上手になりました。それは当然で、江差追分踊りの本家の師匠さんが本格的に指導して下さったのですから、上手くならないわけがありません。何人かがアマチュア無線の資格を持っており、個人局も開局していましたので、あけぼの会もクラブ局を持つ話しに発展しました。そして開局したのがJA8ZOBあけぼの会アマチュア無線クラブです。
 実は、このクラブ局、会の活動がたくさん有りすぎて結果的にはたいして電波は出さずじまいでした。
 
 このJA8ZOBで、海外運用をしようという大きな計画が出来上がってしまいました。結局私が土地勘のあるバンコクが選ばれたのです。運用の許可をRAST(タイアマチュア無線連盟)の会長HS1WRカムチャイさんにお願いしたところ、快く引き受けてくれました。

 このころすでにあけぼの会のメンバ−は、高校生になっていました。この会の活動が活発になると共に、入会したいという中学生や高校生が出てきましたので、あけぼの会の総会を開き、旧6年2組以外の青少年の入会を認めるか話し合い、最終的に意見がまとまらず、決を取ることになりました。私は、あけぼの会の活動をユネスコの大会等で発表すると、「クラス会が国際交流ですか?」と不思議な団体と扱われること、町の教育委員会に補助金などを申請しても「クラス会」が障害になって、公的資金の援助を受けられないのです。ですから私も、発展的に多くの青少年を受け入れるよう説得しましたが、票決の結果は、「クラス会を継続する」が多数を占めたのです。小学校5年生からもう5年も活動を続けたのですから生徒さんの気持ちも分からないわけではありません。町教育委員会からは、「指導がたりない」としかられましたが、生徒さんの堅い気持ちは変えることが出来ませんでした。


 関係報道記事  1979/05/06 北海道新聞
            1980/03/31 北海道新聞





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世界子供大会参加 東京



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