JH8YGC 八雲アマチュア無線クラブの思い出


1 八雲アマチュア無線クラブの復活


 私が大成町に勤務していた昭和40年代から八雲町はアマチュア無線の活動が活発な地域でした。しかし、その時の人の動きで波があるものです。私が昭和57年4月に八雲に移り住んだ時期は、丁度この谷間の時期で、地域クラブの活動は停止の状態でした。私のように引っ越しの荷ほどきもしないでマイクを握っているものにはとても寂しいことです。早速知り合いになったJA8IOT村井OMに相談して、ローカルの有志にクラブ再組織の運動を始めました。ローカルの皆さんも気持ちは同じようだったようで話しはすぐに進み、八雲アマチュア無線クラブ再組織の総会が開かれました。その結果約40名のクラブが動き始めました。
 早速クラブ局の申請を行い、JH8YGCの免許を受けました。



2 JARL渡島檜山支部大会誘致


 八雲アマチュア無線クラブ(JH8YGC)、八雲養護学校アマチュア無線クラブ(JH8YFI)、国立八雲療養所アマチュア無線クラブ(JA8YOR)はじめ八雲地域のアマチュア無線の活性化を願って、JARLの支部大会を八雲町へ誘致することになりました。早速JARL登録クラブ会議に提案をしましたところありがたいことに支部長さんはじめ皆さんに快諾いただきました。ただその内容では、ずいぶんもめました。それは、八雲アマチュア無線クラブが提案したのは、これまで支部大会の恒例の事業とされていた飲食(アルコールを含む)をやめ、その経費で著名な全国で活躍しているアマチュア無線家などを招いて講演など意義ある内容にしようという提案です。これには、役員の皆さんから反対がありました。私は、JARLの意識は予想していた物とは異質のものであると感じました。長い論議の果て一人のOMさんが、「一回提案のようなものをやってみましょう。」と助け船を出してくれました。ありがたい一言でした。その一言で、私達の提案がやっと進められることになりました。
 支部大会の会場は、国立八雲病院の病院の患者さんが参加しやすいようにと、八雲養護学校の体育館の使用を校長に願い出てみました。まだ学校解放などが進められていない時代でしたので、これはかなり難しいことだと予想していましたが、あっけなく体育館の使用許可が出たのです。
 これまでにない意義ある支部大会にしようとJA8IOT村井さんを中心に企画が練られました。著名ハムの講演の他、JA8RLの公開運用、渡島檜山登録クラブのブースの設置などみんなが楽しめる内容を考えました。このアイデアが北海道ハムフェアの開催に発展したのです。ハムの講演には、衛星通信などで有名なJA9BOH前川OMにねらいをつけ、手紙でお願いしたところ多忙の中をお出かけ下さる事になりました。
 当日は、渡島檜山の200人ほどのJARL会員が集まり、なかなかの盛会でした。前川OMの講演も期待のとおり良い話しをしてくださいました。国立療養所八雲病院の患者さん(八雲養護学校の生徒さんも)多数参加しました。この八雲の支部大会がその後の渡島檜山支部大会に引き継がれ、支部大会はミニハムフェアに変わって行ったのです。その後各支部の支部大会に参加させていただいていますが渡島檜山支部の支部大会はなかなか味のあるものでないかと思っています。








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