1 レピーターとの出会い
1 レピーターについては、CQ誌などを通じて知っていましたが、その便利さに初めてふれたのはJA3UB三好OMに引きつられ4D3UAの運用にフイリピンに出かけた時の事でし
た。PARA(プイリピンアマチュア無線連盟)の皆さんは、DU1GFジョージさんはじめ皆さんはいつも持って歩いている144Mhzのトランシーバーに遙か遠くの局が聞こえるではありませんか。ピポパと電話のト−ンらしい
音がすると、「ああ私に電話がきたな」とハンディ−を手に持ち交信を始めるのです。聞くとそれはレピ−タ−を使った通信との事で、一緒に参加した村井さんと二人で感心したものでした。
二人は、帰国してすぐ秋葉原に寄り、レピーター対応のICOMのIC−3Nを買い求めました。理由は、レピーター通信は八雲の国立療養所に入院しているハムの皆さんに大いに貢献するだ
ろうという事が予想出来たからです。 早速八雲クラブの皆さんとレピ−タ−の実験を開始しました。まだ、レピ−タ−通信が許可になっていない時代ですから、市販の430Mhzのリグを2台
使用しての簡易な設備での実験です。IC−3Nの方は、すでにレピーター対応になっていますが、中継するリグがありません。430Mhzでは、いったいどのくらいの距離まで実
用になるのか全く不明で、とりあえず2台のトランシーバーと2本のアンテナをつないで実験を開始しました。分かった事は、ハンデーで5kmはアクセス出来ること。2本のアンテナは、5
m位離すと感度抑制があまりなくなる。それもアンテナは水平に離したのでは駄目で、垂直に離すと良いことが分かりました。そんな実験をしていると、JARLのレピーターが電監から許可
になったとのニュースが流れてきました。「これは北海道にも許可になるぞ!」私達は、八雲でもレピータ−が早期に許可になることを待ち望んでいました。レピーター局の公募は意外には
やくやってきました。もし国立病院のハムの皆さんが小さなハンディートランシーバ−で、ベットの上からレピーターを使うことにより、かなり遠方まで交信できる事が期待できます。是非とも八
雲にレピーターを誘致したいというのが私達の願いでした。 構成員の募集、公募への応募、レピータ−の注文など瞬く間に月日が過ぎていきましたが、夢は一歩一歩実現に近づきました。レ
ピーターの設置場所も八雲アマチュア無線クラブ会長のJA8IOT村井さんの庭に置いていただくこととなりました。「置いていただく」というよりは「勝手に決めて、勝手に置く」に近い状態で、村井
さんの奥さんや同じ敷地内に住む村井さんのご両親もあきれ顔で見守っておられました。
とにかく1mでも高い方が良く飛ぶだろうと20m高のパンザマストを建てさせてもらいました。ところがこのパンザマストの穴掘りですが、地下水の水位が高いらしく、1mも掘らないうちに
ジュジャブ水が出てきました。水中ポンプをかけながらの穴掘りで大変な作業になってしまいました。それでも何日か後には、パンザマストが立ち上がりました。
2 レピーター開局
さて、待ちに待ったレピーターもついにコールサインの割り当ての抽選となりました。当時札幌にあったJARLの北海道事務局で説明会と割り当てのコールサインの割り当て希望の抽選が行
われました。確か八雲レピーター管理団体の村井さんが抽選の棒をひいたと思うのですが、JR8WCを引き当てました。WCと言うことで皆さん記憶に残って良いコールサイン(?)という事で帰って来ました。その後が傑作で、レピーターを入れる物置は、NTTのトイレの設計図を使って出来上がり、コールサインにふさわしいものとなりました。
皆さんご承知と思いますが、レピーターは移動しない局(通称固定局)ですので10Wでも電監の検査が有ってその後に免許がうやうやしく渡されたとのことです。今は検査がないようです。
そんなわけでめでたく開局にこぎ着けました。構成員は、八雲クラブの会員さんを半強制的に会費をいただいて入っていただきました。皆さんご協力ありがとうございました。JR8WCの電波
は、平地に置いた割には良く飛び八雲町内はもちろん、噴火湾一帯がメリトット5で交信できました。
3 本邦初(?)のレピーターロールコール
まったく便利なのです。八雲町内は、0.1Wのハンディーで十分カバー出来ることが分かりました。国立八雲病院の患者さんハムもローカル局はもちろん、同じ病院の中同士でもレピーターは
便利に使えるのです。ある日のJH8YFI(八雲養護学校アマチュア無線クラブのミーティングに、今まで有志でやっていた144mHz帯を使っいたロールコールをレピーターでは出来ないだろうかと
言うアイデアが出たのです。そして、ロールコールのキイ局はJH8YFIのメンバーが当番制で引き受ける。時間は、毎日午後7時とするなどが話し合われました。レピーターでロールコールを実施するという計画は、ローカル各局の協力で本当にスタートすることになりました。私は、このレピーターの特殊な使い方についてトラブルが発生しないように、レピーター使用のマナーを十分JH8YFIメンバーに指導しました。
JH8YFIメンバーが相談の結果、19時スタ−ト、19時30分を目標に終了する、セブンネットという名称にする、キイ局はメンバーが輪番制として曜日で割り当てる、キー局は個人局を使うなどの基本的なことが決まりました。そして、いよいよJR8WCレピーターを使ったロールコールが1984年12月からスタートしました。
「CQ CQ こちらは、JF8○○○ ただいまからセブンネットを始めます。お聞きの方チェックイン下さい。どうぞ」
「こちらは、JA8ATGどうぞ」と入ります。点呼が終わると、それぞれに回し、近況などを報告します。八雲町内の局はじめ、噴火湾一帯の局に参加していただきました。キイ局の八雲養護学校の生徒さんは、はじめはぎこちないところもありましたが、回数が進むに連れて上手になりました。皆さんの話す内容は様々で、生徒さんは学校の出来事や病院の行事など、一般の方は、仕事や町の話題などを紹介し、10人以上も参加局があると、とても19時30分に終わらないこともありました。キイ局が、
「今日は、私の15才の誕生日です。」と紹介しますと、皆さんから、
「○○さん、おめでとう!」とお祝いの声がかかるのです。八雲のローカル局もだんだん生徒さんが難病で戦っていることを知るようになり、心から生徒さんの誕生日を祝って下さっているのです。
だんだんアマチュア無線が広まり、八雲養護学校の職員や国立八雲療養所の職員さんも免許を取って、この「セブンネット」に参加してくれるようになりました。八雲養護学校では、校長先生も免許をとられました。病院では、お医者さんはじめ看護婦さんや看護士さんなども多数免許を取得され、セブンネットは一層にぎやかになりました。校長先生やお医者さんといえども無線の中では、生徒さんが先輩です。子弟の関係は逆転して、生徒さんは先輩として無線のことを教える立場になります。セブンネットの終わった後は、他の周波数に移ってこれまでは、ゆっくり話しの出来なっかった職員さんとも長々とおしゃべりが出来るのです。アマチュア無線は、生徒さんと地域の皆さん、病院の職員、学校の職員との新しいコミニュ−ションの手段となったのです。このセブンネットは、1998年頃まで、実に14年間も続いたのです。
このセブンネットは思わぬ効果をもたらしました。病棟の婦長さんによると、キンジストロフィ−症などで、肺機能の低下している(肺活量が500CC位までになる)生徒さんはじめ患者さんにとって、「話しをすること」は、とても良いことなのだそうです。セブンネットでは、10年以上も話し続けたのです。肺機能の維持にアマチュア無線が役立ったというのは嬉しい話しでした。19時になるとJR8WCのレピーターをこのセブンネットに独占され、大変不自由された八雲ローカルの局長さんはたくさんおられたと思います。10年以上も協力していただいたことにJH8YFI八雲養護学校の職員としてお礼申し上げます。
またキイ局としてセブンネットのキイ局を勤められたJH8YFI北海道八雲養護学校の生徒さんは、ネットのスタートをテレビの時報に合わせ正確に19時0分0秒から始めました。これは、私のようなルーズな人間にはまねの出来ないことです。とにかく、生徒さんがセブンネットで声を出し始めたら7時なのです。実は、このキー局のスタート時間やオペレートの様子は、JH8YFIのOBがモニターして指導していて、遅れたりするとしっかりしかられてしまうのです。これが、JH8YFIの伝統として引き継がれていたのです。
私が数年JH8YFIの顧問をして、アマチュア無線の資格を取得のために指導を続けていました。ある時、重い脳性麻痺の高等部1年生のSさんが私の所に文字盤を持ってやって来ました。そして、彼女は一文字一文字不自由な指を動かして文字盤を指さしました。
「ワ タ シ モ ム セ ン ヲ ヤ リ タ イ」私は驚いてしまいました。言葉を発生すことが出来ない彼女が無線をやりたいと言うのです。私は、彼女は、外見的にとても重い障害のある生徒さんで、無線のできる対象ではないと判断していました。しかし、それは大きな間違いで、彼女には立派な内言語が発達していたのです。たしかにワ−プロなどキーボードからの文字入力もとても遅く、1分間に5文字から6文字くらいしか入れられません。でも彼女が書いた文章を読むと漢字も学年相当に使っていますし、感情も豊かに表現しています。彼女は病院では、重度重複障害という重い障害者の病棟に長年入院していますので、回りの患者さんの殆どは、言葉のない中で生活しています。つまり、劣悪な言語環境ということになります。その彼女がよくこれだけの言語を獲得したものと感心しました。
彼女は、見事に養成課程講習会で第4級アマチュア無線技士の資格を取得したのです。私は、養護学校の教員として、今まで外見の障害にとらわれ、彼女の高い能力を発見出来なかったことを大いに反省しました。